
忙しい日々の中で、ふと「このままでいいのかな」と立ち止まる瞬間はありませんか?
誰にも言えない疲れを抱えていたり、何かを手放したいのに方法がわからなかったり。
目に見えない“何か”を求めて、心の中に小さな渇きを感じているあなたへ──。
ここで紹介するのは、大神神社を訪れた7人の体験談です。
年代も立場も違う彼らが、それぞれの“問い”を抱えながらこの神域を訪れ、
五感で、あるいは心の奥で、「何か」に触れた記録。
大神神社には、派手な奇跡はありません。
ただ、風が吹き、木々がざわめき、水が流れ、山がそこにある。
けれど、その静けさの中で、人は自分の中の本当の声に出会っていきます。
「何かが変わった」──それは、場所が変えたのではなく、
そこに身を置いた自分自身の“内なる気づき”が動き出したから。
さあ、ここから始まるのは、大神神社を巡る7つの“内なる旅”。
もしかしたら、そのどれかが、あなた自身の物語と重なるかもしれません。
- 大神神社 レビュー①:人生に疲れていた私が、大神神社で“自分に還った”日(花さん・33歳・会社員)
- 大神神社 レビュー②:御神水を口にした瞬間、涙が出た(武さん・45歳・公務員)
- 大神神社 レビュー③:夫と無言で歩いた参道が、心の距離をそっと近づけた(律子さん・53歳・専業主婦)
- 大神神社 レビュー④:「軽い気持ち」で登った三輪山で、私は初めて“無音”に出会った(遥さん・26歳・カフェ店員)
- 大神神社 レビュー⑤:もう一度、生き直してみようかなと思えた(誠さん・61歳・元教員)
- 大神神社 レビュー⑥:記憶のない祖母の声を聞いたような気がした(美咲さん・29歳・介護士)
- 大神神社 レビュー⑦:息子と来たのに、自分の人生を見つめ直していた(敬さん・38歳・シングルファーザー)
- まとめ:静けさの中で、あなた自身の声に出会う旅へ
大神神社 レビュー①:人生に疲れていた私が、大神神社で“自分に還った”日(花さん・33歳・会社員)
こんにちは。東京で会社員をしている花といいます。
これは、去年の秋、奈良の大神神社を訪れたときの話です。
…正直に言うと、あのときの私は、もう何もかもに疲れていました。
仕事も人間関係も、自分を責める癖も。
何かを変えたい。でも、どうしたらいいのか分からなくて。
そんな時、ふと「奈良に行こう」と思ったんです。理由なんてありませんでした。
ただ、「このままじゃダメだ」とだけ思って。
それが、大神神社との出会いでした。
駅を降りた瞬間、何かがほぐれていった
JR三輪駅で電車を降りたとき、まず感じたのは、空気のやわらかさでした。
なんというか……吸い込む空気が、都会と違うんです。
キンと澄んでいて、でも冷たくない。
風も静かで、やさしくて。
私は思わず深呼吸しました。たぶん、何ヶ月ぶりかの、本当の呼吸だったと思います。
拝殿の前で、勝手に涙が出てきた
二の鳥居をくぐって、白い玉砂利を踏みしめながら参道を歩いているうちに、
どんどん余計なことを考えなくなっていくのが分かりました。
歩く足音、鳥の声、木のざわめき……全部が静かで、なのに満ちていて。
そして、拝殿の前に立ったときです。
三輪山を仰いで、ふっと頭を下げた瞬間、
なぜか涙が止まらなくなりました。
何かを祈ったわけじゃないんです。ただ、「ああ……」って、心がほどける感覚。
誰にも見られたくなくて、マスクの中で必死に泣きました。
なんで泣いたのか、今もちゃんとは分かりません。
でもきっと、ずっと溜め込んでいた「助けて」の声が、自分に届いた瞬間だったんだと思います。
登れなかったけど、それでも「満ちた」
本当は三輪山に登ってみたかったんです。
でも、着いたのが遅くて、登拝受付は終わっていました。
がっかり……したのに、なぜか「これでよかった」と思えた自分がいました。
その代わりに、狭井神社で御神水をいただきました。
ひとくち飲んだ瞬間、透明な冷たさが喉から胸に落ちていく感覚があって。
身体が「これ、欲しかった」って言ってるみたいに、すごくしみました。
…不思議だけど、あの一杯で、心がひとつ満たされたような気がしました。
帰り道、心の中に浮かんできた小さな言葉
帰りの電車で、窓の外をぼんやり眺めながら、
ふと心の中に言葉が浮かんできました。
「私は、私でいいんだよ」って。
それは誰かが言った言葉じゃなくて、自分の中から出てきた、やさしい声でした。
今でも、辛くなったときにその言葉を思い出します。
大神神社は、何かを教えてくれる場所じゃなくて、
“忘れてた自分の声”に、そっと気づかせてくれる場所なんだと思います。
大神神社 レビュー②:御神水を口にした瞬間、涙が出た(武さん・45歳・公務員)
僕の名前は武(たけし)といいます。
地方で公務員をしています。
もともと健康には自信があったんですが、数年前に持病が見つかってから、ずっとどこかに不安を抱えて生きてきました。
治療を続けながら仕事をこなす日々の中で、心がどんどんすり減っていったんです。
あるとき、ネットで「大神神社は病気平癒のご利益がある」と知りました。
正直、それだけです。行って何かが変わるなんて思ってなかった。
でも、どうしても一度、行ってみたくなったんです。
三輪駅から歩く5分が、長くて、そして短かった
奈良なんて修学旅行以来でした。
JR三輪駅に着いて、そこから大神神社の二の鳥居まで歩く5分。
観光客らしき人もちらほらいたけれど、僕の中ではただ、足を一歩一歩出すことに集中していました。
行くべきか迷いながら、ずっと我慢してきた“祈りたい気持ち”が、ゆっくり顔を出してきたような…そんな時間でした。
鳥居をくぐった瞬間、「ああ、来てよかったな」と思いました。
理由はうまく説明できません。でも、身体が少し軽くなった気がしました。
御神水を飲んだ瞬間、喉じゃなく“心”に沁みた
僕がどうしても行きたかったのは、狭井神社です。
神社の中でも、病気平癒のご利益があるとされる場所。
境内の奥に湧く御神水は、きれいな柄杓ですくって飲めるようになっていました。
ひと口飲んだ瞬間、冷たくて澄んだ水が喉を通った……んですけど、不思議と、沁みたのは“心”のほうでした。
あまりに自然に涙が出てきて、自分でも驚きました。
感謝の涙なのか、怖かった気持ちが溶けたのか、それすらよく分かりません。
でも、あの瞬間、ずっと溜め込んでいた不安とか、悲しさとか、
「なぜ自分が」という気持ちが、スッと流れていったような気がしました。
祈りって、自分に戻る時間なんだなと思った
狭井神社の境内は、静かで、誰もがそれぞれに祈っている空間でした。
中には、同じように病を抱えている人もいるのかもしれない……
そう思ったら、他人事じゃないというか、すごく不思議な一体感がありました。
誰もしゃべっていないけど、空気が満ちてる。
ああ、祈りって、「何かを願う」っていうよりも、
“自分と向き合う時間”なのかもしれないな、と思ったんです。
あの日以来、病気が治ったわけじゃない。でも…
もちろん、病気がすぐ良くなったわけじゃありません。
でも、不思議と、「ちゃんと生きていこう」って思えたんです。
逃げたいわけじゃなかった。
ただ、ひとりで抱えていたんだな、って。
大神神社は、僕にとって「身体じゃなく、心の免疫を取り戻す場所」でした。
あの御神水の味は、今でも忘れられません。
大神神社 レビュー③:夫と無言で歩いた参道が、心の距離をそっと近づけた(律子さん・53歳・専業主婦)
こんにちは。律子といいます。
53歳、子育ても落ち着いて、夫と2人の時間が増えてきた……はずだったのに、なんとなく心の距離を感じていました。
言い合いをするわけでもなく、仲が悪いわけでもない。
ただ、お互い、言葉を交わす回数が減っていたんです。
そんなある日、テレビで大神神社の特集を見ました。
「ここ、昔一緒に行ったよね?」
私がそう言うと、夫は珍しく「また行ってみようか」と返してくれたんです。
そんな風にして、20年ぶりに大神神社を訪れました。
昔と同じ道を、今は言葉なく歩く
車を停めて、二の鳥居をくぐったとき、懐かしさとともにちょっとした緊張もありました。
昔は子どもがいて、笑いながら歩いた参道も、今は夫と二人きり。
何を話せばいいのか分からなくて、私たちは黙ったまま、玉砂利を踏みしめました。
でも不思議と、その沈黙が居心地悪くはなかったんです。
周りの木々の音、遠くの鈴の音、柔らかな風が、言葉の代わりに私たちをつないでくれているようで。
“話さなくても、通じることもあるんだな”と、ふと感じました。
拝殿の前で、ふたりそろって手を合わせた時間
拝殿に着いて、夫と並んで手を合わせました。
願いごとをしたか、していないか、もう覚えていません。
ただ、目を閉じたとき、自分の心が思いのほか静かだったことに気づきました。
夫も隣でそっと手を合わせていて、その姿を横目で見ながら、
“この人とまたここに来られて、よかった”って、自然に思えたんです。
何も変わっていないようで、実は、いろんな時間を越えてきたことが、
この静かな空間の中で、やっと実感として染みてきました。
大美和の杜から見えた景色が、心を開いてくれた
拝殿の奥にある展望台──「大美和の杜」へ足を伸ばしました。
そこからは、大和平野が一望できて、夕暮れの空がとてもきれいでした。
夫が、「こんなに広かったんだなあ」とぽつりと呟いて、
私は「うん、ねえ」とうなずくだけでした。
そのたった一言と一音の間に、いろんな感情が通った気がしました。
やり直すとか、大きな変化とかじゃなくて、
“また、ここからでも大丈夫”って、静かに思えたんです。
帰りの車の中、ふたりで笑った
帰り道、夫が「昔、ここで子どもが走り回ってたな」と言って、
私は思わず吹き出してしまいました。
それが、数ヶ月ぶりのふたりの笑いだったと思います。
大神神社は、夫婦で言葉にならないことを、ゆっくり受け止めさせてくれる場所でした。
誰かと静かに“心の間”を感じたい人には、きっとぴったりの場所だと思います。
大神神社 レビュー④:「軽い気持ち」で登った三輪山で、私は初めて“無音”に出会った(遥さん・26歳・カフェ店員)
はじめまして。遥(はるか)といいます。
都内のカフェで働いています。毎日忙しくて、でもそれなりに楽しくて。
どこか心が落ち着かないのは、きっと寝不足のせいだと思っていました。
そんな私が大神神社を知ったのは、Instagramで「すごいパワースポット!」って紹介されてた投稿がきっかけです。
「へえ〜、なんか良さそう」「癒されたいかも」って、ちょっと軽い気持ちで行ってみたんです。
あんなに静かな“衝撃”を受けるとは、思いもしませんでした。
参道で感じたのは、静けさじゃなくて、“空っぽ”だった自分
JR三輪駅から歩いて、鳥居をくぐって、白い砂利道を歩く。
周りの人は、みんなすごく丁寧に手を合わせたり、深く一礼したりしていて、
なんだかちょっと、場違いな気もしてきて……。
拝殿の前に立ったとき、自分の中がスカスカなのが分かったんです。
スマホでずっと誰かの投稿ばかり見て、「いいね」の数ばっかり気にしてた。
でも、ここには“そういうもの”が一切なくて。
本当の自分の声が聞こえてこないくらい、私、うるさい世界にばっかりいたんだなって思いました。
三輪山登拝──最初は「疲れるな」だったけど
せっかく来たんだから、って思って三輪山登拝に申し込みました。
ルールが厳しいって聞いていたけど、まさかここまでとは。
スマホも使えないし、撮影禁止。お菓子も水もダメ。
正直、最初は「え、マジで?」って思いました。
登り始めてすぐ、木々に囲まれた細い山道に入った瞬間、あたりの空気がガラッと変わって。
音がしないんです。いや、鳥の声とか風の音はあるんだけど、
それが“音”っていうより、“響き”みたいに感じられて。
気がついたら、息を潜めて歩いてました。
山の途中で、言葉にならない何かに触れた
途中、岩がゴツゴツした坂を登っているとき、
なぜか涙が出ました。しんどいからじゃなくて。
ただ、なんか、胸の奥がキュッと痛くなって。
「自分をちゃんと大事にしてなかった」
「誰かに見てもらうことばかり考えてた」
そんな想いが、湧いてきたんです。
山の中は、静かなんだけど、すごく“満ちて”いて。
誰にも見られない場所で、私は自分のことを初めてちゃんと見た気がしました。
下山して見上げた三輪山が、ちょっと微笑んで見えた
無事に下山して、狭井神社で御神水を飲んだとき、
すごくシンプルに「ありがとう」って思いました。
それまでの私は、感謝よりも、承認を求めてばかりだった気がします。
神様がいるとかいないとか、正直、分かりません。
でもあの山には、何か“本当のもの”がある。
帰り際、ふと見上げた三輪山が、ちょっとだけ微笑んでくれたように見えたのは、
たぶん、私の中に静けさが戻っていたからなんだと思います。
大神神社 レビュー⑤:もう一度、生き直してみようかなと思えた(誠さん・61歳・元教員)
こんにちは。誠(まこと)と申します。
61歳で定年を迎え、今年の春に教師生活を終えました。
教えることに夢中で駆け抜けた30数年。
それなりに充実した人生だったと思う反面、ぽっかりと空いた日々に、思った以上に戸惑いました。
「これから、自分は何をして生きていくんだろう」
考えても答えは出ず、気づけばテレビを見て、ただ日が暮れる毎日。
そんな折、学生時代に一度だけ訪れた大神神社の記憶がふと蘇ったのです。
気づけば、桜井行きの電車に揺られていました。
鳥居の前で、深く頭を下げたくなった
JR三輪駅から歩いて鳥居に着いたとき、言いようのない懐かしさが込み上げました。
あの頃は若くて、自分のことばかり考えていたなあ…と。
今は、家族のこと、生徒のこと、いろんな「誰か」の人生を背負ってきた重みを、少しずつ降ろしていく時期。
そんな気持ちで、ゆっくりと鳥居をくぐりました。
拝殿の前で手を合わせたとき、願いよりも感謝が浮かびました。
「今まで、ありがとう」と。
自分に対しても、世界に対しても。そういう祈りでした。
大祓式で、思いがけず涙がこぼれた
その日は偶然にも「夏越の大祓(おおはらえ)」の日でした。
人々が列になって茅の輪をくぐり、穢れを祓うという神事。
私も誘導に従って輪をくぐったのですが──
三度目の輪をくぐったとき、不意に胸が詰まりました。
ああ、自分はずっと、「何者か」でいようとして、
弱さや不安を隠し続けていたんだな、と気づいたんです。
教員として、父親として、夫として。
でも、それを今ようやく、そっと降ろしていい時期なんだって。
流れるように涙が出ました。
誰にも見られたくないようで、それでいて誰かに気づいてほしい涙でした。
御神水が、体の奥をゆるめてくれた
儀式のあと、狭井神社へ立ち寄り、御神水をいただきました。
冷たくて、清らかで……それなのに、どこか温かかった。
飲んだ瞬間、喉ではなく、お腹のあたりがすっと緩んでいくような不思議な感覚がありました。
長年まとってきた“肩書き”という鎧が、静かに剥がれ落ちていくようで。
「生きる」って、もっと自由でいいのかもしれないなと、ぼんやり思ったんです。
あの山に背中を押された気がした
最後に見上げた三輪山は、曇り空の中にどっしりとたたずんでいて、
「またいつでも来ていいよ」と言ってくれているようでした。
不思議と焦りも不安もなく、ただ静かに、これからのことを考えている自分がいました。
帰りの電車で、「もう一度、生き直してみようかな」とふと思いました。
それは、誰かに言うための言葉じゃなくて、自分自身への静かな約束のようなものでした。
大神神社は、人生の折り返しに、もう一度「はじまり」をくれる場所だと思います。
大神神社 レビュー⑥:記憶のない祖母の声を聞いたような気がした(美咲さん・29歳・介護士)
私は介護士をしています。
利用者さんの笑顔を見るのは大好き。だけど、心の中にはいつも、埋められない空白がありました。
祖母を小さい頃に亡くしていて、記憶がほとんどないんです。
でもなぜか最近になって、その祖母のことが無性に気になって。
気づけば、祖母の実家があったという奈良に、一人旅の予定を入れていました。
その土地の神社が“大神神社”だと知ったのは、出発の数日前のことでした。
「はじめまして」と「ただいま」の間みたいな気持ち
三輪駅に降りたとき、なんとも言えない懐かしさを感じました。
来たことはないのに、ふとした風景や匂いが、“前にもここを歩いたことがあるような”気がするんです。
拝殿までの道を歩きながら、ふと「おばあちゃん、ここに来たことあったのかな」って思いました。
鳥居の下で、私は心の中で、
「はじめまして」と「ただいま」を同時に言っていました。
そんな感覚って、人生で初めてでした。
拝殿の前で、風に包まれるような感覚がした
三輪山を仰ぎ見る拝殿に立ったとき、何かが胸の奥でふるえました。
風がふわっと吹いて、髪が揺れて、そのときなぜか、祖母の声が聞こえたような気がしたんです。
──「大丈夫だよ」って。
実際には聞いたことのない声。けれど、不思議とすごく懐かしくて、安心して、涙がこぼれました。
それはきっと、祖母の声ではなく、自分の中にある“祈りたい気持ち”の声だったのかもしれません。
狭井神社の御神水を、持ち帰る水筒にそっと入れた
帰り際、狭井神社で御神水をいただきました。
その場でひとくちいただいたあと、水筒に少しだけ持ち帰らせてもらいました。
家に戻って、その水で祖母の仏前に小さな花を供えました。
何かを成し遂げたわけでも、ご利益がすぐにあったわけでもありません。
でも、「祖母とのつながりは、今も続いてる」と、初めて心の底から思えたんです。
大神神社は、“思い出せないはずのもの”を、そっと思い出させてくれる場所でした。
大神神社 レビュー⑦:息子と来たのに、自分の人生を見つめ直していた(敬さん・38歳・シングルファーザー)
僕は敬(けい)と言います。
38歳、シングルファーザーで、小学2年の息子と2人暮らしです。
離婚してから、男手ひとつで育てることの難しさを何度も感じてきました。
自分のことなんて考える余裕もないまま、ただ毎日をこなしてきた。
ある日、息子が「神様に会いたい」ってぽつりと言ったんです。
よく分からないけど、その言葉が胸に残って。
仕事の休みを取って、思い切って奈良へ向かいました。
二の鳥居をくぐった瞬間、息子が手をつないできた
大神神社には朝早く着きました。
人気もまばらで、空気がひんやりしていて、どこか特別な静けさがありました。
鳥居をくぐったその瞬間、横にいた息子が黙って僕の手を握ってきました。
普段はもう「一人で歩ける」と言って繋ぎたがらないのに。
僕はそれだけで、胸がいっぱいになりました。
拝殿の前で、自分が祈ったのは「ごめん」だった
拝殿に立って、息子と並んで手を合わせたとき、
心の中で「ありがとう」じゃなくて、最初に出た言葉は「ごめん」でした。
あのとき怒りすぎたこと、忙しさで聞いてあげられなかったこと、
ちゃんと目を見て話してあげられなかったこと──全部が一気に浮かんできて。
泣くわけにはいかないから、グッと堪えて、目を閉じて立ち尽くしました。
そして、もう一度「ありがとう」と心の中で言い直しました。
それが、ようやく父としての“祈り”だったのかもしれません。
御神水を飲む息子を見て、自分が癒された
狭井神社で、息子が「冷たい!おいしい!」と御神水を飲んで嬉しそうに笑いました。
その顔を見た瞬間、なぜか僕の肩からふっと力が抜けていきました。
頑張ってきたこと、ちゃんと届いてたのかもしれないな、って。
神様に会えたのは、もしかしたら、息子じゃなくて僕のほうだったかもしれません。
帰りの電車で寝てしまった息子の寝顔を見ながら、
「また来ような」って、心の中でそっとつぶやきました。
まとめ:静けさの中で、あなた自身の声に出会う旅へ
大神神社を訪れた7人の体験──
それは、大きな奇跡や派手な出来事ではなく、
それぞれの人生の節目でふと立ち止まり、
静かな時間と向き合うことで生まれた、小さな“気づき”の記録でした。
誰かに見せるためではなく、
誰かと比べるためでもなく、
ただ、「今の自分」に静かに触れる場所。
大神神社は、そんなふうに、訪れた人の奥深くに何かを灯してくれる場所でした。
涙が出た人。
何も変わらないようで、でも確かに“軽く”なった人。
過去と向き合い、未来へ歩き出した人。
それぞれの物語が違っても、そこに通っているのは、
「自分を取り戻す旅」だったのではないでしょうか。
あなたがもし今、何かに疲れていたり、
見えない何かを探しているのだとしたら──
大神神社は、ただそこにある静けさの中で、
そっとあなたを迎え入れてくれるはずです。
帰り道、ふと風の音に耳を澄ませたくなるような、
そんな“静かな変化”を、あなたもきっと感じることでしょう。