2025年現在、多くの日本人が持つタイのイメージが以下になります。
- ほほ笑みの国
- 気候が暖かい
- まだまだ発展途上国
- 物価が日本よりかなり安い
しかし、現在タイを訪れると、そのイメージは全く異なることに気づくことでしょう。実は、上記のようなタイのイメージは、タイの田舎のイメージになります。
ほとんどの日本人が最初に降り立つ、タイの玄関口であるバンコクに到着すると圧倒されること間違いなしです。それはバンコクが、東京や大阪に匹敵する大都会だからです。
今回は、タイの専門家が「タイってどんな国?」について詳しく解説しますね。
タイってどんな国?
タイは正式には「タイ王国」と呼ばれ、現在の国王ラーマ10世が治める立憲君主制の国です。タイは東南アジアに位置し、ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアの4つの国と国境を接しています。地理的には、北部には山岳地帯が広がり、南部には美しいビーチや熱帯の島々があります。中央部にはメコン川やチャオプラヤ川などの大きな川が流れ、バンコクを中心とする肥沃な平野が広がっています。
タイの人口は約6,500万人で、タイ族を中心に、華人やマレー族など、さまざまな民族が暮らしています。公用語はタイ語ですが、バンコクのホテルやショッピングモール、レストランなどでは英語や一部日本語も通じることが多いです。
タイの国旗は赤、白、青の3色で構成され、5本のストライプがあります。赤は国と国民を、白は仏教信仰と建国神話に登場する白象を意味しています。中央の青はタイ王室を象徴し、赤と白のストライプよりも幅が広いのが特徴です。
タイの首都であるバンコクは大都会
首都バンコク(上記写真)はタイの政治、経済、文化の中心で、人口は約600万人です。バンコクでは高層ビルやモダンなショッピングモールと、古い寺院や宮殿が一緒に並んでおり、独特な魅力を持っています。
タイは現在、近代的な高層ビルが立ち並ぶ大都市に成長していますが、それでも街の至るところに寺院や祠があり、郊外には古代都市の遺跡も残っています。これらからはタイの歴史を感じることができます。
タイの歴史について
タイの王朝の歴史は13世紀頃に始まり、最初は都市国家として成立しました。その後、いくつかの王国が連邦のような形で統一されました。タイは何世紀にもわたってさまざまな王朝に支配されてきました。その中でも「アユタヤ王朝」が特に有名です。
アユタヤ王朝は14世紀半ばに成立し、チャオプラヤ川沿いの恵まれた立地に位置し、周辺の農村や森林から物資を集め、交易の拠点として繁栄しました。この王朝は約400年間にわたってタイを治めましたが、18世紀半ばに隣国ビルマ(現在のミャンマー)との戦争で敗れ、アユタヤの街は破壊され、王朝は終わりを迎えました。
現在、アユタヤの遺跡は歴史公園として整備されており、巨大な涅槃像や苔むした仏塔などを見ることができます。これらの遺跡からは、かつて栄華を誇ったアユタヤの壮大さを感じ取ることができます。
アユタヤ王朝の後、タイはトンプリー王朝(1767年~1782年)を経て、現在のチャックリー王朝(1782年~)へと続いています。
タイの経済について
タイの経済は、1950年代には主に農業(第1次産業)とサービス業(第3次産業)がそれぞれGDPの約35%~38%を占める形で成り立っていました。しかし、現在ではサービス業が約68%割、工業(第2次産業)が約29%割を占めるようになり、農業はGDPの約1割にまで縮小しました。このように、タイの経済は工業化とサービス業の拡大によって大きく変化しました。
特に1990年代には、多くの日本企業を含む世界の製造業がタイに進出し、工業化が急速に進んだ結果、タイの経済成長率は年率10%前後に達しました。しかし、1997年のアジア通貨危機が発生すると、タイ経済は一時的に深刻なマイナス成長に見舞われました。
その後、2000年代に入るとアジア通貨危機から回復し、年率5%程度の経済成長を続けましたが、2004年のスマトラ島沖地震や2008年の世界金融危機、2011年の大洪水、2014年の軍事クーデターなど、さまざまな自然災害や政治的な不安が経済に影響を与え、経済成長は不安定な時期が続きました。
さらに、2020年には新型コロナウイルスの影響で、観光業がほぼ停止状態となり、タイ経済は世界金融危機以来のマイナス成長となりました。しかし、観光需要は回復しつつあり、2021年以降はプラス成長を維持しています。タイ政府は2023年の外国人旅行者数を2,800万人に設定していますが、コロナ前の約4,000万人にはまだ達していないものの、観光地は活気を取り戻しつつある様子が伺えます。